No.15(帝政ローマ) :
「ローマ帝国の滅亡とキリスト教の関係とは?」
ローマ帝国は、キリスト教を迫害していた時代と利用していた時代があった。最初は
皇帝以外をあがめることを禁止していたが、313年ニケーア公会議で公認し、「皇帝=
キリストに選ばれた者」として市民に崇拝させることにより帝国崩壊の危機を一時的
には回避した。しかし、392年にキリスト教をローマの国教にまでしたが、395年東西
分裂、476年には西ローマが滅びた。
<評価の観点>
関心・意欲・態度:
統一原理としてのローマによるキリスト教の政治利用を、国家と宗教の関係の類型
化された一つのパターンとして理解することにより、学習意欲を高めている。
思考・判断:
キリスト教徒迫害時代の皇帝崇拝が、ローマの多神教の伝統のみならず、皇帝がオ
リエントの専制君主的な性格に変化してきたことを示す点に注目することにより、キリ
スト教公認や国教化が、統一原理としての政治利用を目的としたものであったという
判断ができる。
資料活用の技能・表現:
「恋人たちの守護聖人」ヴァレンタインを斬首するディオクレティアヌス帝と、「この印
(十字架)にて勝て」の神のお告げを受けるコンスタンティヌス帝の想像図を比較する
ことで、両皇帝のキリスト教に対する態度の対称的な違いを印象的に把握している。
知識・理解:
古代という時代区分の特徴の一つに神権政治が挙げられる点や、政教分離が近代
民主政の主要な原則であることも視野に入れながら、崩壊に向かうローマがキリスト
教を公認したり国教化せざるを得なかったことを理解している。